【嫌儲日本史部】富士山と宗教、幕府による禁令 江戸時代の民衆信仰 [163221131]

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 江戸幕府が、「俗体にて山伏に扮した講仲間の取り締まりを行う禁令」を出したのは安永4(1775)年のことだ。
その20年後の寛政7(1795)年には富士講を名指しで取り締まるお触れを出している。江戸後期、庶民の間で爆発的に人気が広まった富士講だが、幕府が禁令で取り締まる対象でもあった。

 多くの山岳信仰がそうであるように、富士信仰も古より遠くから崇め奉る遥拝による信仰が基本であった。
仏教信仰が広まり、また、修験道の行者など一部の者が登拝を行うようになり、元亀3(1572)年には角行(かくぎょう)が初めて吉田口より富士山登拝を成し遂げたと伝えられている。
角行は長崎の出身、現在の岩手県平泉町の岩屋で修行中、修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)が現れ、富士山の人穴で修行をするよう示唆を受け、富士山で荒行を重ねるようになった。

 こうした身禄の過激とも言える修行が江戸大衆の心を動かし、富士講の爆発的な人気へとつながっていったのではないだろうか。
身禄の教えは、職業、身分、性別による上下関係を否定し、それぞれが役割を担っているという、ある意味、市民、男女の平等をうたい、自身の徳を積むことが一番大切であると説くものであった。
当時としては先進的な考え方であったことから、士農工商による身分制度によって世の中を統治していた江戸幕府、さらに伝統的な宗教界からは歓迎されざる側面があった。

(一部抜粋)
https://thepage.jp/detail/20180110-00000008-wordleaf

2番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ ad72-AKbC)2018/01/14(日) 16:16:34.39ID:yJIFBYnD0


>>2
前なんとかさんは京都の在日じゃないの
富士山が好きなのか


修験道を通じて身分制度崩壊の予兆が見て取れるとか、超面白いじゃん


みんな神道とか好きでしょ

富士講の分派として活動している實行教の本山が近所にあります。


>>6
前にブラタモリで富士講の御師の家をやってました
まだ活動しているのですね

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