ネトウヨ「反出生主義って生きて生を謳歌したからこそ、その答えに辿り着いたわけじゃん。矛盾してるんだよ」 [887932534]
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そーす2 https://www.yomiuri.co.jp/
宅造@トレーサー900GT
@ticktack08241
たしかに反出生を謳えるのって、生を謳歌してるからなんだよなぁ…
①『反出生』が正しいとする。
②出生は不幸を増やすだけ、という『正しい根拠』はどうやって発生したか。
③その反出生を唱えた人間が出生し、考えを持つに至るまで生きれたからである。
④結果、出生により『正しいもの』が生まれたとなる
⑤ ①②が否定される。
『存在自体が矛盾している』 >>434
対人論証を延々と垂れ流す方が幼稚なんだよなぁ・・・w >>435
笑
理解力にも欠けるわけね不幸なわけだ
俺の人生は素晴らしいらしいよ
おやすみ ナタリストが逃げまどうのが笑えるw
ほらほらw
さっさと生きる意味や生きる素晴らしさについて力説して下さいよw
>>437
はいはい
どう素晴らしいかは説明出来ないわけねw
おやすみw 反出生主義も歪んだ考えだと思うけど
ネトウヨの言ってることって自分が上に嫌なことされたから自分も下に嫌なことするって典型的なジャップしぐさじゃん
>>440
>反出生主義も歪んだ考えだと思うけど
どこがどう歪んでるの? 自殺してるのは親の勝手で産まれた子ども
やっぱ反出生主義が正しかった
>>443
平気で人に自殺しろとか
やっぱナタリストって恐ろしいね 反出生主義はケンモメンそのものだからなあ
論理的には正しいのだが
それって悲惨な人生を送っているということだから好ましいことではない
反出生主義は上級から見ると、家畜が自分達は生まれても最後に食べられるだけなんだから子供を生むのは止めようと言っているようなもんだな
だからちゃんとお前ら役割を果たせよ、と檄を飛ばす
生育環境が悪化したからこうなってるんだろ 豚や牛はそれでも子供を生んでくれる(生まされる)が、ヒトは意志を持って反出生を選ぶ
もし豚、牛が知性を持ち教育が施されていたら彼らも反出生主義を持ち自らの不幸の再生産の連載を自分達の手で終わらせようとするだろう
自分達が家畜と同程度の存在だと気付いた人間の自然な行動なのかもしれない
人生という枠組みに縛られた奴隷であることはどの人間にとっても変わらないのだからそれにとらわれれば自身の能力が高かろうが仕事で成果を出していようが日常が幸福であろうが反出生主義に傾倒することはあり得る
そこで自身の人生を形作るこれまでのものに敬いを持ち自身もそれを後世に繋いでいこうと思えるか、
否定的な面の大きさにそれを後世に引き継いでいく事への背徳感からそれを断ち切るべきと思うか、
後者はある面では自分勝手だしある面では一番他人に思いやりを持っていると言える
個人が社会や種全体の終焉を望むような社会状況が異常で、主義主張を否定したり個人の精神面への批判や責任転嫁だけでは解決できる話ではないとも考えられる
1つ引っ掛かってるのは、女は優生思想でそこから反出生主義が導かれるとか言ってる奴が居るけど、それは選ばれなかった奴の遠吠えだと思うぞ
自分が選ぶ立場ならより好ましい相手を選ぶのは当然だと思うし、誰かが自分ともう一人を比較して、自分より明らかに劣っている方を選んだとしたら納得いかないだろ
そもそも自分も相手を選ぶときに求める基準が有るのだからそれは性別による性差ではない
欲しいものがあるならそれを主張しなければ与えられない 優先順位は先着順、列にならばなければ順番は来ない
人間という種は不完全で種全体は反出生主義が相応しいかもしれないが、
自分の人生について不満を述べるのは自分が出来ることを全てやってからにした方が良い
>>450
ものすごい長文で草
幸いなことに底辺も生活保護があって死にはしないんだから
座禅でもくんで輪廻からの解脱を願って一生を終えればいいだろう >>451
解脱出来てないからネットで他人に絡んでいらんストレス互いにためてるんだよなあ
そこに進みたいならまずは掲示板から解脱できなきゃムリムリですよ 生に一番囚われてるのが反出生主義者だっていうね
他のやつはそこに重点置かず生を満喫してるよ 愛憎楽苦いずれの方向であれ
>>1
人が生まれて生きて得た結論が出生は不幸を増やすという考えで、この考えが正しいとすれば出生して正しいものが生まれたことになり、出生は不幸を増やすという考えが否定される
この気持ち悪い文章はここまで意訳してあげないと意味が通らないうえに反出生主義の否定になってない 政治問題社会問題を個人の問題に矮小化したいのが反出世主義を叩いてるんだろうな
弱肉強食の自己責任社会にした時点でこうなるのは当たり前なんだよ
日本は生きるのに値する素晴らしい社会じゃない
大前提として、一個人の出生は完全な偶発で、それ以上でもそれ以下でもない
その事実をどう捉えるかで思想が分かれる
客観的に見てただの偶発的な現象ならリスクを背負ってまで生まれる必要はないと考える人は反出生になるし、逆に主観的な感情や生物としての本能を重視する人は反出生にはならないだろう
どちらが正しいかなんて議論は不毛でしかない
俺はどちらかというと前者の考え方だが、後者の立場も理解はできる
二元論に持ち込んで一方を全否定することは馬鹿げたことだ
SEXした事あるくせに反出生主義の奴、絶対に許さない。あまりにもふざけ過ぎてる。この世で最も害悪。
>>452
まあ解脱はなかなか難しいよな
まずケンモメン止めないとな 勝敗を競う論破ゲームから脱するところから始めたほうがいいと思うよ
>>461
なら思考停止とでも言ったほうがよかったか
どっちにしても解答から逃げてるだけだよな >>462
俺は反出生主義寄りの考え方だけど、
出生賛成派は「生みたい」という感情優先なんだから仕方ないでしょ
いくら倫理や論理で説論しても「生みたいから生むわ」で終わり。
それを辞めさせる権利は無い。だから不毛なんだよ
「敗北宣言」とかいうワード使ってる時点でわかるよ、論破(笑)して気持ちよくなりたいだけだろ
ひろゆきとか好きそう 反出生主義は否定するのに優生学思想は肯定するネトウヨちゃん
>>455
反出生主義を地域社会の問題に矮小化したいのか >>447
当人の人生は関係ない
生まれてくる子供の苦痛を論点にしているのが反出生主義だろ 反出生主義を肯定するのも否定して拒絶するのも人それぞれだしそこに時間かけてもしょうがないよ
取り敢えず自分の意志とは別に始まってしまった個々人の人生について考えよう
反出生主義を掲げて子供を生まないという選択をしたのならそれを踏まえた上で反出生主義者はどう生きるのかを考えよう
>>458
別に性交渉しても反出生を保つ事はできるよね ちゃんと避妊なり去勢なりするのなら
その考えは禁欲原理主義的考えで反出生主義とは別物では セックスというか、問題は中絶だよね
反出生主義でも中絶OK派とNG派に分かれる
子供が出来るリスクのある行為をして、万が一の場合は堕ろせばいいだろうという考え方は、倫理を根拠にする反出生主義として許容されるのか?という議論はある
>>473
受胎時を個人と見なすなら許容できないし出産後から個人と見なすなら許容できるのかね
どちらにしろその時点の本人に生まれたいかどうかの意志確認は不可能だけど >>474
同類ではないし
違うわけでもない
そもそもの論点が違うからな 1880年代、トルストイに精神上の転回が起きて、彼の世界観は根本的に変わった。例えば、彼は、私有財産と自著の著作権を完全に放棄しようとした。また結婚観も見直した。以前は、彼の創作においては家庭こそが主たる価値となっていたが、今や結婚に完全に幻滅する。そうした考えを彼は、中編『クロイツェル・ソナタ』に表している。
この小説でトルストイが語るのは、欲情というものの下劣な性質であり、人間が淫欲を抑制できないことであり、そして嫉妬がまさに破壊的な力をもっていることだった。
この時期のトルストイは、もはや単なる有名作家ではなく、真の精神的指導者となっていた。人々は彼のすべての新作をむさぼり読んでおり、大きな影響を与えられていた。そのため、『クロイツェル・ソナタ』は、刊行後にロシア帝国の検閲により発禁となった。トルストイの評伝を書いたパーヴェル・バシンスキーはこう書いている。「『クロイツェル・ソナタ』を読んだ若者は、家族が汚れた性欲に基づいていることから、結婚と出産を拒否した」。
注意すべきはトルストイが否定したのは性欲や性交であって、人生ではないということだ
人間は自分の肉体の安全を脅かすものを悪とみなすが
人生の目的が自身の肉体から精神を脱却させること、つまり死ぬことにあると気づいたものにとって悪はない
別に反出生を生涯貫けば結婚しようが集団生活しようがお金稼いで資産築こうが散財しようが反出生主義とは相反しないよね?
次の世代が生まれなければ死の不幸は再生産されないのだから自分の人生自体については自由では?
反出生主義者同士で一ヶ所に固まってコミュニティ作っても良いだろうし
人が入り続けるけどそこで新たな命は生まれない
そういう場所があっても良いよね
禁欲節制と連動する概念では無いよね反出生自体は
死の不幸を強制するなというなら自身の生の幸福を享受しても良いのでは
上のトルストイの話しはちょっと文脈がズレるな
反出生主義における性行為についての問題の焦点は、性欲ではなくて中絶だからね
快楽を得ること自体には何の問題もない
さらにいうと反出生を貫いた上で自身がこの世界から離脱するまでに他者に対して貢献することも別に反出生主義とは反してないよね
自身の人生についても制約はないし、他者に対して出来るだけ不幸を生まないような人生を送るための取り組みもしても良いはず
元々死に対しての逃れられない不幸を課題として挙げているのだからそれ以外の不幸に対しても出来るだけ相互関係で解消改善していこうとすることは矛盾しないはず
反出生主義者が禁欲主義者になる必要もないし刹那主義になる必要もない
今ある世界が不幸に満ち溢れているならそれを出来るだけ減らす方向に動くことをしても良いし元の逃れられない死の不幸を問題とする反出生主義なら当然そうあるべきなのではないのかね
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